■第15話「長男物語(2007.7.27〜2007.8.19)全20話」
第一章『長男誕生』
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赤ちゃんのささやき
おぎぁ−
この広い世界に元気よく飛び出した
10ヶ月もおなかの中でがまんしたんだよ、ぼく〜
だから、今度はおもいっきり、あばれるんだ
ママのおなかと違って、ここはとっても広いんだもの
ぼくはどんな男の子になろうかな?
あばれんぼうでとても強いぼく
それとも、おとなしくてやさしいぼくかな?
僕の足も、おててもとっても太いんだ
それにおめめもパッチリだから
この足で広い地球を駆け回り
この目で色々なことを見つめて発見するんだ
いつかきっと
この手で幸せにつかむんだ
パパが出張して帰ってくるころには
僕はもっと大きくなっているんだ
パパ
いってらっしゃーい(^-^)/~
ママと二人で
ババの帰りを待っているよ
ねぇ、ママ〜
ママのつぶやき
こうちゃんが、おなかの中で大きく育っている時は、とても暑い日が続いている真夏だったのよ。
丁度、お盆がきたので、パパは出張から帰って来て、おうちにいたの。だから、ママは、パパの側で「こうちゃんが、早く生まれて来ないかな?」と首を長くして待っていたのよ。
ママがおなかが大きいので、せっかくのお盆なのに、パパはどこにも出かけられずに、ちょっぴりつまらなさそう〜。パパが8ミリを出して来て、大きなおなかを撮っていたわ。
高校野球を見ながら「明日生まれてほしいわ。パパが、21日からまた、出張だから早く生まれてね」とおなかに話しかけていたのよ。
私の声がちゃんと聞こえていたのかしら?高校野球の準決勝を見ていたら、急におなかが突っばってきて、ママの願い通りに産声をあげたの。昭和47年8月20日、午後8時20分。体重3050g、身長50cm 。
パパとおばあちゃん達に見守られて、元気な男の子が誕生♪
初めての赤ちゃん誕生で、私の世界観が、すっかり変わっちゃったのよ。
赤ちゃんを見て「世界一ハンサム!」と思い込む「親バカママ」になっちゃったの。きっと、誰もが「うちの赤ちゃんが、一番可愛い!」と、思うんだね。だから、子育てを一生懸命頑張れるのかしら?
長男が生まれて、一か月間、実家に帰った。初孫なので、父も母も大喜びだった。近所の人達も入れ替わり立ち替わり、赤ちゃんを見に来てくれた。
赤ちゃん誕生は、周りの人々に、大きな感動と、幸せを運んだ。「赤ちゃんの顔を、見ているだけで幸せよ!まあ、こんなに小さな足、こんなに小さな手!」赤ちゃんが、目を開いただけでも「わあ、目を開けた!」と、大騒ぎで喜んだ。
今までは、自分の時間は、自分に使うことができたが、この時から、すべて赤ちゃんが、最優先になった。たくさんおっぱいを飲む子で、母乳だけではとても、足りなかった。三時間おきに、母乳をやっても、夜泣きをした。
私は、寝不足になり、へとへとだった。検診の時に質問したら「もうそろそろ、ミルクも足してあげてください」と言われた。
それから、赤ちゃんは、ぐっすり眠ってくれた。母乳とミルクで、スクスク育った。生後2ヶ月になった時、社長である舅から、電話が入った。「もう、そろそろ、会社に出て来て、仕事をしなさい」という内容だった。
生まれる寸前まで、会社で経理をしていたが、お産ということで、他の人に仕事を引き継いでいた。私は、その頃、若くて、甘く考えていた。赤ちゃんを育てなければいけないので、仕事は、休めると思っていたのだ。
主人は、営業なので、出張ばかりしていた。この電話の時も、家にはいなかった。新米ママなのに、会社で、仕事をしなければならない。突然、不安が襲ってきた。「育児と仕事をどうやって両立してゆくの?」と考えると、夜も、ぐっすり眠ることが、できなくなった。
「子育てをしながら、仕事はできます。昔の人は、歩き始めて危ないと、柱にくくりつけて、仕事をしたものです。うちの母さんも、三人の子供を育てながら、仕事をしてきました」と舅は、私に説明された。
私は、現実に目が覚めた。その日から、社長のベンツが、家の前に止まり「仕事の時間です」と、背広姿の舅が、玄関に現れた。
仕事と育児で悩みながらも、どうにか切り抜けていた。長男を筆頭に次男、三男、四男と生まれた。
主人は、相変わらず出張が多くて、家を開けた。私は、幼い長男を頼りにしていた。
4人とも、歯並びが悪かった為、車で1時間もかかる歯医者に、通わなければならなかった。町にでると、沢山の店が並んでいるので、ついつい見たくなって、お店に入ろうとすると「ママ、ダメでしょ!今日は、歯医者にきたんだから〜」と、スカートを引っ張られた。
ハッと気付いて「ごめんね」とあやまって、歩き出した。どこへいくのも4人連れて歩いた。6才、5才、3才と赤ちゃんをおんぶして出かけた。
長男は、いつもお父さんがわりなので、年齢よりもしっかりしていた。
大雨が降り、雷がなった時も、弟達の子守をしてくれた。なるべく、事務の仕事を家に持って来てやっていたが、どうしても、会社へ行かなければならない時があった。
どしゃぶりで雷が、あまりにひどかったので、会社から、慌てて帰った。それまで、長男が、子守りをしていた。怖くても、我慢をしていたのだが、私の顔を見た途端、弟達が大声で泣き出した。
「ワァーン〜こわかったよぉ〜」と大泣きをした。それまで泣かずに我慢していた長男もつられて泣き出した。
「ありがとう、おにいちゃん、よく頑張ってくれたね」と私は、4人を代わる代わる抱き締めた。
この「ときめき千夜一夜物語」の中で、どこの家庭でも、起きうる物語を書いてきた。今回は、ほとんど出張で、父親不在の我が家の実話物語。「結婚しても、子供がいても、年を取っても、生涯仕事を持って生きていたい」という夢を持った私自身が、四苦八苦する姿をそのまま書くことにした。仕事を持ちながら、子育てしているあなた、パパのいない家庭のあなた、悩めるあなたに送るエールメッセージになると嬉しいな!
我が家の周りの家は、殆ど自営業で、今から35年前、とっても景気が良かった。冬になると、週末はスキー、夏は海へとご近所は、家族揃って出かけて行く。
小学生になった長男は「どうして、みんなは、スキーや旅行にいくのに、うちは行けないの?」と私に聞いた。「ごめんね。パパは、営業のお仕事だから、お客様に合わせなければならないの」
「パパは、お休みにゴルフに行くんでしょ!パパだけ遊んでるの?」という疑問を持っていた。主人は、ゴルフの前の日は、ご機嫌よく「打ちっぱなし」に出かけた。にこにこ出かける姿を見て、パパだけ遊んでいると思ったに違いない。
「あのね。こうちゃんは、パパがゴルフで遊んでいると思っているかもしれないけど、お客様の接待なのよ」と説明した。「接待?」「お客様にゴルフで楽しんでもらって、商品の注文をいただくのよ」と長男が納得してくれるまで、話をした。
ある日、次男や三男が「いいな、いいな、みんなスキーに行っちゃったよ。僕んちだけ行けない。つまんないよなぁ」とぶつぶつ言っていた。長男が、二人の側へ行って「パパがお仕事でいないから行けないし、まだあきひさが小さいからダメなんだって!やんちゃいうとママが困るから言うな!」と強い口調で言った。弟達は、叱られて小さくなった。まだ二才になったばかりの四男は、きょとんとしていた。
この様子を見ていた私は「ごめんね。あきちゃんがもう少し大きくなるまで待ってくれる?パパに話してみるからね。スキーに連れていってもらおうね」と4人の息子に話した。
「ママ〜本当?僕んちもスキーに行けるの?」とみんなの顔が、一瞬で輝いた。「うん、もう少し待っててね。ちゃんと、ママがパパに話すから〜約束するよ」
「ゆびきり、げんまん、うそついたら、はりせーんぼん♪」と子供達と約束した。それから、三年後、やっと主人が家族サービスしてくれて、家族でスキーに行くことが出来た。
長男は、おっとりマイペース、次男は、活発で行動的、三男は、ユニークで、時代の最先端を目指す個性派、四男は、困っている人の為、行動する福祉系。
それぞれの個性を出しながら、少しづつ成長した。一番頭を痛めたことは、同性でライバル意識が強かったことだった。
特に、長男と次男が、年子だったので、困った時もあった。長男が、年長になった時、自転車の輪が取れて、大喜びをした。「乗れた…」と長男が喜び「良かったねぇ〜」と、私は、拍手をした。
すると、次男が「僕もわっぱとるぅ〜」とただをこねた。「まだ年中なので、来年ね!」と言い聞かせても、聞かない。パパに頼んで、両輪をはずしてもらった。
それから何回でも、倒れては起き、また、倒れては起きる。そして、細い道から落ちて泣いている。
長男が「なおゆきが田んぼに落ちたよぉ〜」と呼びに来た。とんで行くと、自転車ごと田んぼに落ちて泣いている。
「どうして、ママの言うことを聞いてくれないの?」というと「大きい兄ちゃんが、乗れたんだから、ぼくだって!」
「なっちゃんは、まだ小さいから、来年は、乗れるよ」と説明したが、「また練習する」と聞かなかった。
何回も転び、怪我をしながらも、頑張ってその日のうちに、自転車のわっぱ無しで、乗れるようになってしまった。次男には、決めたらやり抜く意志の強さが出ていた。
長男と私は、驚きながらも「よく頑張ったね、すごいな」と言いながら、拍手をした。
鉄棒で、長男がやっと「さかあがり」が出来るようになると、次男も出来、竹上りが出来るようになると、次男も出来てしまった。それをまた、三男がじっと見ている。
お兄ちゃんを褒めると「僕だって出来たよ」と言う。褒め方がとても、難しかった。
雨の日には、兄弟げんかが多くなった。布団を敷いて、すもうごっこ、プロレスごっこ、ウルトラマンごっこを、やって遊んでいた。最初は、仲良く遊んでいるので「よしよしこの調子〜」と私は、喜んでいた。
ところが、しばらくすると「わぁー」と誰かが、泣き出してしまう。「お兄ちゃん、どうして弟に、手加減してあげないの?」と、つい怒ってしまった。
「だって、手加減したら、僕が負けてしまうよ。弟になんか負けたくない」と私に叱られて、悔し涙を出した。
負けて泣く弟達、叱られて悔し涙の長男!雨の日の子守は大変だった。しばらくすると、泣きやんで「今度は野球をしよう〜」と部屋の中で、野球が始まった。
初めは、手加減しているが、そのうち真剣勝負!「ガッシャーン!」と物凄い音と共に悲鳴が聞こえた。慌てて飛んで行った。
応接間のシャンデリアに、野球のボールが当たって、落ちて割れてしまった。子供達は、びっくりして、小さい弟は泣いていた。私は驚いて、怒ってしまった。運良く、四人とも怪我は無かった。長男小学二年生、次男小学一年生、三男4才、四男1才だった。
毎日のように、兄弟げんかをしながらも、いざという時には、兄弟が団結していた。長男は、弟がいじめられている時は、助けて守った。学校から帰ってくると「大きい兄ちゃんに、助けてもらった」と言っていた。小学校の高学年になってから、身長もグンと伸びていたので、頼もしい存在となっていた。
小学校低学年の時の長男は、足が遅くて「かめ」と言って馬鹿にされたこともあった。だが「がんばれよ」と励ましてくれた友達もあった。
この友達の励ましの言葉が、きっかけとなり、かけっこの練習をするようになり、どんどん足が速くなっていった。
4年生になって、スポーツ少年団のサッカーに入団した。私の生活は、更に忙しくなっていった。日曜日を家事にあてていたのに、ほとんどサッカーの試合で、つぶれてしまった。子供達は、精神的に強くなるためにも、空手にも入っていた。
日曜日になるたび、遠い試合会場まで、運転して連れて行かなければならなかった。
そして、更に私を追い詰めた出来事が起きてしまった。主人が、学校のPTA会長に選ばれてしまった。
ほとんど家に居なかった主人なのに、PTA会長?大勢の役員の人々が、寒い2月の夜に、何回も我が家に訪れた。「会長を引き受けてもらうまで通います」と〜。
「ほとんど家にいてくれませんので〜」と言って断ったが、受け付けてもらえなかった。主人が居る時に、また大勢の人々が、押し寄せた。遂に、主人が、引き受けざるをえなかった。
私は、更に追い詰められた。仕事、育児、スポーツ少年団の試合、学校のPTA会長、地域の行事などに追われて、精神的にまいってしまった。そして、爆発してしまった。
すべてに疲れてしまった。話す相手がいない苦しさと、孤独感に襲われた。睡眠不足も、加わって身体もだるくて、やる気が起きてこない。
友達とおしゃべりする時間もなく、ただひたすら、やらなければならないことを、やってゆくしかなかった。毎日が、時間との戦いでもあった。
疲れが、ピークにきたと、感じた時があった。一人で、四人をお風呂に入れた時のことだった。四男が、まだ赤ちゃんで、抱っこして、湯船に浸かっていた。ふと「今、私の心臓が突然止まってしまったら、この子達はどうするのだろうか?パパはいないし、夜だし〜」という気持ちが頭をかすめた。
その瞬間、手から赤ちゃんが滑り落ちて「ドボーン」と湯の中に消えた。
三才のよっちゃんが「ママ!赤ちゃんがおちた−」と叫んだ。
私は「ハッ」として、我にかえり、湯船の中で拾い上げた。私の心臓が、躍っていた。赤ちゃんは、溺れかけたが「ギャー」と泣いたので、ほっとした。
色々なことが、重なって私の顔から、次第に笑顔が消えていった。自分自身で、自分を支えきれなくなった。「もう、だめだ。一人では何もかもできない!」
四人の子供達の寝顔を見ていたら、涙が次々にこぼれ落ちてきた。「ごめんね。ママ、もう、疲れちゃったの。死にたくなっちゃったの。もう、生きてゆく元気がないの。怒ってばかりでごめんなさいね。悪いママだね」
眠っている子供達の頭を撫でながら、一人一人に囁いた。涙が塩辛かった。涙が、こんなにたくさんどこにあるのだろう?今まで我慢していたものが、涙となって溢れ出した。
泣き続けながら、いつの間にか、ノートに自分の気持ちを書き綴っていた。自分と対話していた。「そうだ、パパに手紙を書こう〜」
長男が、お腹に宿った時から、育児日記を書き始めていた。同時に、自分を成長させる為に「育自日記」を書き続けた。苦しそうな私の顔を見て「ママ、大丈夫?」と、長男から言われた。
「大丈夫よ」と涙を浮かべながら、答えていた。お兄ちゃんが、言う言葉を真似して「ママ、大丈夫?」と、小さな弟達も言う。「うん、大丈夫よ」と答えた。
今、こうして、振り返ってみると、育児ノイローゼだったかも知れない。もしも、その時、心療内科に行っていれば「うつ病」と言われたかもしれない。
しかし、私は、この時、決心したことがあった。今のこの苦しみを正直に書き綴り、子育てが終わったら、私と同じように悩んでいる人の話を聞いて、助けてあげれる人になろう。この時、洗面所の冷たい水で、顔を洗った。そして、私は、高い志を抱いた。愛とは?、結婚とは?仕事とは?生きるとは?などと、自分の疑問に対する答えを求めて、読書をしながら、自分の想いを記録した。
悲しい涙を、喜びの涙に変えていくことにした。我慢していないで、思ったことを言うことにした。自分が追い詰められて苦しいことや、子供達の成長ぶりを手紙に書いて、そっと、パパの出張カバンに入れた。「気付いてくれますように〜」という祈りを込めて、洗面道具の中に、入れた。
ある時は手紙、ある時は子供達の写真、ある時は子供達の声を録音したカセットテープ〜。
母親が変われば、子供も変わる。「かめ」と友達から言われ、悔しい想いをした長男が、スポーツ少年団が主催するマラソン大会で、優勝した。私は、喜びの涙を流した。空手の試合でも、賞が取れて、大きな大会に出れるようになった。
一つのことに自信を持った長男は、勉強も頑張り、読書感想文も入賞した。
「道ができる 新しい流れが起きる 夢に続く為 私は翔る 」という文字が私に勇気を与えた。
私自身の気力、体力の限界を感じてから「このままではいけない」と思うようになっていた。
子供達を怒りすぎたり、仕事が手につかなくなったりしていたことを反省した。母親自身が幸せでないと、家の中が火が消えたように暗くなってしまう。すべて私がやろうと頑張っても限界があることに気付いた。
長男が、運動、勉強に頑張るようになり、児童会長にもなっていた。私は、長男に「お父さんが仕事で家にいない事が多いので、母さん疲れちゃったの。」「どうしたらいいと思う?」と相談をした。
「じゃあ、お父さんが出張から帰ったら、家族会議をしよう」と提案した。私は、びっくりした。私の頭では「家族会議」ということは思い付かなかった。主人とゆっくり話し合おうとは思っていたのだが、日常の雑務に追われ、時間がなかなか取れないでいた。
「そうだね、それは、いいアイデァだね、やってみようか?」と笑顔で答えた。「うん、僕が議長をやるよ。なおゆきは5年生、よしひとは3年生、あきひさは年長だから、何とか会議が開けると思う」「そうね、やれるかもね。お父さんには私から話してみるわ」と言った。
仕事と家庭の両立で苦しんでいた私にとって、長男のこの言葉によって、救われた。気力が失われていた私の心に、元気という気持ちが戻ってきた。
幼稚園までは、「パパ、ママ」と言っていた子供達が小学校に入ってからは、「お父さん、お母さん」と呼ぶようになっていた。子供達は日に日に成長してゆく存在なのだとこの時、痛感したのだった。
手紙、カセットテープ、写真というように、出張カバンに入れたことで、主人も父親として自覚してくれたのかもしれない。快く「家族会議に参加する」と返事をした。
長男の提案で、家族会議をすることになった。三男と四男は、何が始まるのかと興味しんしんだった。
「家族会議を始めます」と、少し緊張した顔で長男が言った。「お母さんが、毎日大変なので、みんな協力してください。…」という言葉から始まった。
児童会長として頑張っていることが、議事進行してゆく姿を見て、感じられた。ゲームでけんかをしないこと。それぞれが、ひとつづつお手伝いをすること。このように、約束事が決められた。
お父さんにもお願い事があった。スキーに連れて行って欲しいこと。お盆休みか、お正月休みに家族旅行がしたいこと。主人は、子供達の発言を聞いて「分かった!これまで、仕事が忙しかったから、スキーにも、旅行にも連れて行けなかったなぁ〜。あきひさも大きくなったので、今年から行くことにしよう」と答えてくれた。
子供達は、大喜びだった。喜んだ顔を見ていたら、私まで、何だか嬉しくなった。
ふと、主人の顔を見ると、子供達の顔を見ながら、にこにこしていた。やっと、お父さんらしい顔になっていた。
「では、これで、初めての家族会議を終わります。みんな、今日決めた事は、ちゃんと守って下さい。また、何かあったら、家族会議をやります」という長男の挨拶で、無事終わった。
「こうちゃん、ありがとう。家族旅行楽しみね」「うん」と頷いた。「あなた、ありがとう。仕事の方は、大丈夫なの?」と聞く「子供達と約束したから、何とかするさ」と一言。ありがたやありがたや〜。
家族会議で決めたことをそのまま実行した。主人は、会社の仕事とのバランスをとりながらも、家族との約束は守ってくれた。
家族のことは、ほとんど何も協力していなかった主人が、少しづつ変化した。スポーツ少年団の役員の仕事も引き受けてくれ、サッカーにも空手の試合にも出来るだけ参加するようになった。嬉しい事だったが、そのことによって、大役まで当たってしまった。
次々、会長という大役をこなしてゆかねばならなくなった。更にまた忙しさが加速した。
子供達のことを全く知らなかった主人が、こうして、色々な事に関わるようになって、担任の先生、校長先生がどんな人なのかわかるようになった。
子供達と繋がった。地域と繋がった。学校と繋がった。そして、やっと、私の心と繋がった。
ついに、家族全員で旅行に出かけられるようになった。
ある日、外人の友人が、長男をアメリカに連れてゆきたいと言ってくれた。ホームステイを経験させた方が良いと言ってくれたので、彼女に託した。
そして、小6で長男は、アメリカへ旅立った。
長男は、家族から離れ、日本から離れて、異国の文化に触れた。メリーさんは、小学生、中学生を12人くらい連れて、アメリカの地を踏んだ。
信頼している友人なので、安心して子供を預けた。だが、初めてのホームステイなので、健康のことが心配だった。
「母親から離れて暮らすのだから、自立させるチャンスです。自分で考えて行動できるようにする為に、外国に連れてゆきます。特別な用事がない限り、電話はかけてこないで下さい〜」と日本での説明会の時に、詳しく話された。
私も長男もメリー先生に言われたことは、ちゃんと守っていた。三週間後、元気よく、アメリカから帰国した。
帰ってきてから、何だか雰囲気が変わってきた。それまでは、物静かな子供だったが、明るくなり、よく笑い、よく歌を歌うようになった。
「アメリカの人は、陽気で、道でも歌を歌ったり、楽器を弾いたりしていたよ」と話してくれた。くっついている時は、よく兄弟げんかをしていたが、こうして離れてみると、お互いに協力できるようになり、けんかの回数が減ってきた。
これは、嬉しい事だった。しばらくしてから、ホームステイした子供と、親の交流会が開かれた。
それぞれが楽しかった思い出話をしてくれたので、その時の様子がよくわかった。
反省点として、メリー先生は、親に話された。「電話はしないで下さいと、お願いしておきましたが、何回もしてきたお母さんがいます。何の為にお金を使って、外国まで行かせたのですか?アメリカまで、お母さんが電話で指示していては、自分で考える力はつきませんよ〜」と。
日本のお母さんに、「子供を信頼してほしい」と話された。この出来事をきっかけに、長男は親離れを、私は、子離れを考えるようになった。
きっとんとん〜日本のお母さんは?〜長男物語つづく〜明日をお楽しみに
小さな町で、小さな小学校、小さな地域から出た事もない長男が、都会の年上の中学生と一緒に、ホームステイを経験することは、勇気が必要だった。
交流会の後で、メリー先生は、私に話された。「サナエ、あなたの息子は、よくがんばったよ。私の注意をよく守りました。まず、一番年下なのに、よくみんなのことを思って、行動出来ました。私の荷物まで持ってくれたのですよ。とても、助かりました。お金も、自分で計算して、ドルを持ち、計画的にお土産を買っていました。私が、教えてないのに、リストを書いて、チェックしてましたよ。そしてね。お父さんのことを尊敬し、敬語を使っていましたよ。大変、感心しました〜」
メリー先生は、流暢な日本語で、次々に、長男の事を褒められた。本人のいる前で、褒められたので、大きな自信に繋がったのではないかと思った。
先生の言葉の中で、一番嬉しかったのは、「父親を尊敬している」という一言だった。
私は、子供達の目に「お父さんの存在」が、どのように写っているのかを、心配していた。特に、長男が父親代わりに、私や弟達を支えていたので、メリーさんの言葉は、嬉しかった。
うちでの様子と外での様子が、違うことを知った。何も出来ないと思っていたのに、自分で考えて行動していたようだ。
親元から離れても、何とかやっていけれる子に育ってくれたことに、感動した。こうして、親以外に、子供を育ててもらえる友人を持てた事に、心から感謝した。
小学校は、友達ともよく遊び、楽しい時を過ごした。特に6年生の担任の村瀬先生は、子供達に人気があった。背が高くて、なかなかのハンサムだった。
学級通信も、自分色がはっきり出ている内容で、私の目には斬新に写った。そこには、先生自身の事も、書かれていた。
恋愛中で彼女のことも、紹介してあった。結婚についても、通信に載せてあった。子供達も、先生の結婚式を自分のことのように、楽しみにしていた。
誰もが、先生のことが大好きで、クラスがひとつにまとまり、男の子も女の子も仲が良かった。
クラスが団結している姿が、運動会や授業参観でも見られた。騎馬戦、選手リレー、35人36脚と、どのプログラムにも、お互いに励まし合う姿に感動した。
足の遅い子に声をかけながら、「いち、に、いち、に〜」と息を合わせる子供達の姿を見て、いつの間にか、親達も大声をあげて、一緒に応援していた。
先生の結婚式には、親達が車を出して、子供達を乗せて行った。自宅は、川のすぐ近くの2階建ての日本家屋だった。先生は、子供達の顔を見て、笑顔になり、好奇心旺盛な子供達の質問に照れながら答えられた。幸せ一杯のひとときだった。
児童会長をしている時の事だった。学校から帰る途中に、中学生と擦れ違った時「中学校に来たら、いじめてやるからな!」と言われた。こうして、中学校に入学する日を迎えた。親子共々、生まれて初めて「いじめ問題」を体験することになった。
新しい中学校の制服を着て、友達と元気良く「行って来ます!」と学校に向かった。初めての中学校で、親も子も、喜びと緊張に包まれた。
入学してから、数日後、学校に行こうとすると「お腹が痛い」と言い出した。トイレによく行くようになり、だんだん笑顔が消えていった。何だか様子がおかしい〜。
「どうかしたの?」と聞いても「別に、何でもないよ」と答えた。学校も休まず行っていたが、私の妹にポロリと、「学校で、先輩にいじめられている」と呟いたそうだ。いじめを予告されていたこと。入学式当日からいじめられていたこと。仕返しが怖いから、親には言えなかったことなど、妹から聞いた。
このままだと、不登校になってしまうと思い、主人に相談した。主人は、本人に詳しい話を聞いてから、すぐに担任の先生に相談した。校長先生も熱心な方で、事情を聞いて下さった。
「すぐに事実を掴み、対応致します。」と頭を下げられた。校長先生は、行動が早かった。。朝早く、登校されたり、休み時間を巡回されたりして、いじめを受けていた現場を押さえられた。
いじめていた子達は、サッカー部の先輩だったようだ。本人と親に注意されて、いじめ問題は、間もなく解決した。いじめられていたのは、長男だけではなかった。
このことがきっかけとなり、「三年生になったら、生徒会長に立候補して、いじめのない中学校にしたい」と思ったそうだ。
中学一年生でいじめられた長男は、生徒会活動に関心を持った。色々な体験を積み重ねながら、先輩達の活動を見ていたようだ。
子供達の不登校、いじめ問題も、増えてきていた。だが、この頃の先生は頼り甲斐があった。校長先生も、担任の先生も、熱心で、家庭との連絡をまめにとって下さった。学校での様子が、親にもよく伝わってきた。
学級通信も毎日のように渡されたし、生徒達も、毎日生活ノートを提出していた。先生も毎日、赤ペンで、生徒のノートに、コメントを書き込まれた。親も、「読んでいます」という印鑑を押して、時々感想を書き入れた。
このように、担任の先生や友達の応援もあって、生徒会長になるという夢が実現した。
だが、喜んだのもつかの間だった。運動会、文化祭、試験勉強と次々に試練を味わった。学校から帰ってくるのも、遅くなった。長男は、クタクタに疲れていた。
そんな兄の気持ちを知らない次男が、何か一言、長男に向かって言ったようだ。
ムカついた長男が、急に怒り出した。次男は、びっくりして、裸足で家の外に逃げ出し、それを長男が裸足で追いかけた。私は、ただならぬ兄弟げんかに驚き、二人を裸足で追いかけた。ダンプカーが、急に飛び出してきた二人をひきそうになった。運転手は、急ブレーキを踏んで「危ない!バカヤロー!」と大声で怒鳴った。あわや、目の前で、二人の息子を失うところだった。
ダンプカーに、はねられかけたが、間一髪で子供達の命が助かった。私の心臓は止まりそうだった。
私は大声で「二人共、家に戻りなさい!」と怒鳴った。二人も、ダンプカーのお兄さんに怒鳴られてびっくりしていた。
長男は中3、次男は中2で、身長も同じくらいになっていた。ちょっとした言葉が長男の勘に触ったらしい。
二人共、私の身長を超えていたので、正座をさせて、話した。「なおゆきは、お兄ちゃんに向かって、生意気なことは、言っちゃいけないの。あなたは、大きい兄ちゃんのお陰でここまで大きくなれたのよ」と、今までのことを詳しく話した。
「どんなことがあっても。四人の生まれた順序は変わらないわ。大きい兄ちゃんは、一番上なのよ」と、コンコンとお説教した。
それから、弟達は、兄に対して、言葉に気をつけるようになっていった。「親子兄弟仲良くする」を我が家の家訓に付け加えることにした。
時には、兄弟喧嘩をしながら、また、仲良く遊びながら、ぞれぞれが、大人になっていった。
子供達は、毎日「お母さん、お母さん…」と何十回も、私を呼んだ。それを聞いた主人は「この人は、お前達のお手伝いさんではないぞ!ぼくの女房だ。悔しかったら、早くいい人を探して来い」と話した。
私は、この言葉を聞いて感謝した。仕事でほとんど家にいなかった主人が、父親の出番の時には、ちゃんと責任を果たしてくれるようになった。
長男が中3の時に「僕に過度の期待をしないで欲しい」と。そして、将来の仕事についても「お父さんは、自由に仕事を選んでもいいと、口では言っているけど、本心は、会社を継いで欲しいと思っているんだ」と言った。
子供の言葉は、真実をついてくる。主人は、父親らしく、私は、母親らしくなる為に、努力した。
高校、大学、会社も、自分で決めて、就職した。その後、主人の会社に入り、現在、後継者として、学びながら、仕事に励んでいる。伴侶も自分で決めて自立し、男の子と女の子に恵まれた。
今、会社の東京営業所で家族と共に、暮らしている。長男の家族が健康で幸せに暮らしてくれる事を願ってやまない。
8月20日は、35歳の誕生日(^-^)v
おめでとう♪♪♪
きっとんとん〜35歳の誕生日おめでとう〜長男物語おしまい〜
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