■第13話「世界に翔んだセニョリータ(2007.6.20〜2007.07.13)全21話」
第一章『信じられないこと』
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友達は、素晴らしい財産。幸いなことに、私には、随分年下の友達もいる。今回、主人公になるパトラちゃんは、私にとって大切な年下の友達だった。
彼女は、ツア-コンダクタ−で、今迄、53か国訪れていた。色々な国へ行くと、その国から手紙を送ってくれた。帰国すると、時々、会いに来てくれた。世界の国々の香りを届けてくれた。
「いつか、あなたを主人公にして物語を書きたいなぁ〜」と言ったら「えー、楽しみだわ〜」と答えてくれた。
「きっといつかは〜」と思っていた。先月、友人から電話が入った。「あのう、あまり良いニュースではないの。パトラちゃんが亡くなったの」私は、自分の耳を疑った。イタリアへ行くと聞いてたから「飛行機事故なの」と思わず聞いた。
「ううん。病気でね」「病気?何の病気なの?」と尋ねると「癌みたいよ。イタリアから帰って、すぐに救急車で運ばれたそうなの。手遅れだったそうなの」と悲しそうな声だった。
「えー〜癌?信じられないわ。あんなに元気だったのに〜」頭が真っ白になってしまった。彼女は、独身でまだ人生はこれからだと思っていた。
これからの彼女を見てから、物語を書こうと思っていた。電話を切った後、しばらくしてから、涙が溢れてきた。
姿勢が良くて、スラリとした美人。ヘアスタイルがあの有名なクレオパトラに似ていたので、私は「パトラちゃん」と呼んでいた。
いつ会っても、ニコニコ元気パワーでいっぱいだった。世界中に友達がいて、誰からも愛されていた。
私は、彼女に会う度「いつまでも若くはいられないんだから、いい人見つけて結婚したら?」と言った。
「うーん。たくさん男の友達はいるけれど、恋人はいないわぁ〜」と答えていた。
「あなたのような素敵で魅力的な女性が、なぜなんでしょうねぇ〜」と呟くと、少し照れながら「なぜなんでしょうねぇ〜」と私の言葉を繰り返した。
「ツアコンは、あなたにとって、天職で、きっと仕事が恋人であり、夫なのかもしれないねぇ〜」と囁いた。「そうかもねぇ〜でもね。愛する人が見つかれば結婚したいとは思っているよ〜」
「そうなのね、じゃあ、あなたが結婚するまで長生きしなくっちゃ!」と笑いながら言った。
田舎に生まれたのだが、考えることが、地球規模で国際人だった。こういう女性が、子供達に色々なことを話したら、多くの子供達の目がきらきら輝くに違いない。
私は、若者が集まるミニバラのイベントに参加してもらった。もちろん、彼女が日本にいる時だけだったのだが〜。講演会にも参加してもらった。心良く引き受けてくれて、すぐにみんなに溶け込んで、楽しんでくれた。
誰とでもすぐに馴染んで、楽しい会話を始める天才だった。いつも「すごいなぁ」と感心していた。馴れない年頃の男の子の心もしっかり掴んでいた。何分もしないうちに、いつしか男の子も一緒になって笑っている。
パトラちゃんは、私にとっては、若者に夢を与える「微笑み天使」のように見えた。どんな闇を持った子にも、楽しむことを教えてくれた。
話術がすごくて、ポンボンポンと自然に心が弾んでくる。彼女の話を聞いているうちに、いつの間にか、未知なる世界へと誘われていった。
数十年前のことを思い出していた。子供が風邪をひいたので、かかりつけの診療所に行った。
そこで、80歳くらいのおばあちゃんに話しかけられた。「うちの孫は、イギリスに留学しているんですよ」と言われた。「すごいですね。こんな田舎から、外国なんて素晴らしいですね」と少し驚きながら答えた。
すると、おばあちゃんは、嬉しそうにいっぱい話して下さった。「もうそろそろ帰って来ると思っていたんだけど、帰国が半年先になったんですよ」と淋しそうに溜め息をついた。
「そんなに、がっかりされないで、会えるのを楽しみにされたら〜すごくたくさん勉強して、きっとすごい人になられますよ。長生きしてね」と言いながら、おばあちゃんの顔を見た。
それから、おばあちゃんの「孫自慢」が始まった。先程の顔とは、全く、別人のように嬉しそうな表情となり、話が弾んだ。
おばあちゃんは、急に改まって「あんたさんは、どちらさんやったね?」と聞かれたので、名前を言った。「そうかね、孫が日本に帰って来たら、会ってやって下さい」と言われた。
「はい、是非とも〜私も英会話を勉強したいので、教えてもらおうかしら?」「是非、遊びに来て下さい」と笑顔で答えられた。
ただ、診療所で話しかけられただけのことだったのに、これがご縁となったのだ。このおばあちゃんの事が、私の心に残り、更に、何年か過ぎて、パトラちゃんと出会うこととなった。
「あっ、あの時のご自慢の孫さんが、この人だったんだぁ〜」と気がついた時には、びっくりした。「ご縁がある人とは、いつかは巡り合うことになっているんだ」と確信した。
きっとんとん〜あっ、あの時の話の中の人?〜世界に翔んだセニョリータつづく(o^-')b
月日が流れ、私は、子供達に英語力が必要だと強く感じるようになった。その頃は、まだこの辺りには、英会話教室はなかった。
まず、私自身が英会話を勉強しようと思った。その時は、4人の息子を育てながら、会社の仕事もしていたので、近くで学びたいと考えていた。
知り合いから聞いて、先生が見つかった。今後のレッスン予定を打ち合わせに行って驚いた。
イギリスに留学していた事、おばあちゃんの事を聞いているうちに、私の記憶が蘇って来た。「あっ、あの時のおばあちゃんのお孫さん?おばあちゃんはお元気ですか?」と尋ねると「今は、天国にいます」と、パトラちゃんは、上を指差し答えた。
「まあ、そうだったの?あれから、ずいぶん経ったんだわ」「そうですね。おばあちゃんにかわいがられていました。私がイギリスへ行く時も淋しがっていました」となつかしそうに話してくれた。
「おばあちゃんと孫」って暖かい関係で、聞いていると、思わず顔が緩んできてしまう。いつの日にか私にも「こんなに可愛く想う孫が出来るのだろいか」と未来を描き、微笑んだ。
パトラちゃんは、横浜に住んでいて、ツアコンの仕事をしていた。私が中学生の頃に、憧れていた仕事だった。「いいね。私にとっては、夢の世界だわ」と羨ましがったら「いえ、いえ、体力勝負ですよ。身体も、心も強くないとやっていけれませんよ」と凛とした返事だった。
仕事の内容を聞いていたら、私のようにドジでお人好しの者には勤まる仕事ではなかった。
パトラちゃんが、実家に帰って来た時に、英会話を教えてもらうことになった。「天国のおばあちゃん、ありがとうね。あなたの可愛いお孫さんに会えましたよ。繋いでくださってありがとうございました」と心の中で御礼を言った。
パトラちゃんと出会ってから、三十年くらいの月日が流れた。あっという間の速さだった。昨年の一月に、パトラちゃんから、突然、携帯に電話が入った。「ちょっとお話があるから、お邪魔したいんですが〜?」「いいですよ。今、家にいるから〜大丈夫よ」と答えた。
車の音がしたから、出て見ると、にこにこしながら、手を振った。パトラちゃんは「はーい、こんにちは」と元気よく挨拶してくれた。「いつ、日本に帰ったの?」「先週帰って来たのよ」と答えた。「お帰りなさい」と合図をした。
外国に長く住んでいいるので、彼女は、日本人なんだけど、どこか、異国の雰囲気がする女性になっていた。
よく笑い、陽気な女性に成長していた。色々な話を聞いていたら、おかしくなって笑ってしまった。
「お話ってなあに?」「あっ、そうそう、3月23日に上海に行かない?」と聞かれた。
「上海に?」突然のお誘いに、私は、びっくりした。「仕事ばかりは、ダメよ!病気になってしまうよ。気分転換に日本脱出よ。私が連れ出してあげるわ」と微笑んだ。
「とってもお値打ちなプランなのよ」と目を輝かせて話してくれた。パンフレットを見ながら、心は、既に上海に翔んでいた。
説明を聞きながら、子供のように胸がワクワクしてきた。外国旅行の話をしているうちに、パトラちゃんの人柄に包まれ、心が熱くなってきた。
人の面倒をよくみる女性。なかなかできないことをサラリとやって、決して恩にきせない女性。他人のことを自分のことのように思って、行動する女性。
今の日本人が、どこかに忘れてきてしまった大切な義理、人情がある。外国に住んでいても、日本人の心を忘れなかった。同性でも、年下でもほれぼれした。
凛としていて、戦うべきところは、ちゃんと戦い、堂々としている。優しさの裏側に強さ、厳しさを持っていた。
こんな素敵な女性と上海への旅ができるなんて、私にとって夢のようだった。
「いいわね。申し込みするから、もう、この期間は仕事入れちゃダメだよ。分かった!充電しに行くのよ〜」「うん。わかったよ。あなたに言われたとおりにするからね」と、私は頷いた。
いよいよ、パトラちゃんと上海へ翔んだ。「よく遊び、よく働く。メリハリをつけなくちゃね」と、彼女はいつも言う。私よりうんと若いのに、色々なことを教えてくれた。
私は、若者が「友達作り」が下手なので、パトラちゃんにたくさんのことを聞きたいと思っていた。パトラちゃんには、世界中に家族ように付き合ってくれる友達がいた。
ざっくばらんでまめなパトラちゃんは、誰からも愛され、人種が変わっても全く関係なかった。
どうやって、友達になってゆくのかを旅の道中で聞きたかった。パトラちゃんは、どんどん話してくれた。
私にとっては、未来に対する財産のような旅となった。
パトラちゃんは、友達作りの天才だ。この上海旅行の楽しみのひとつは、「おしゃべり」というごちそうだった。
ミニバラにやってくる若者は、ピュアな心を持った感受性の豊かな人が、多い。友達作りの苦手な人もやって来るし、人間関係で悩む人も多い。私は、耳をダンボのようにしてパトラちゃんのおしゃべりを聞いた。録音機を持って歩いて、ホテル、バスの中、部屋の中、どこでもチャンスがあれば、インタビューした。パトラちゃんは「芸能人になった気分ね」と、どんな時も、笑顔で答えてくれた。
彼女をずっと観察していると、まず笑顔が抜群に良い事。会話が楽しくてテンポが良い。相手の気持ちになって、「大丈夫?」とか「お先にどうぞ」と言ってくれる。まめでフットワークが軽い。
誰でもが真似することはできないかもしれないが、ひとつくらいは真似してみるのも良いと思った。一日が終わってほっとして、ふと彼女を見ると、イスに腰を掛けてペンを走らせている。
「何しているの?」と聞くと「お友達に絵葉書送るの」と言いながら、あっという間に書き上げた。「何でも早いねぇ」と驚いた顔して言ったら「いやいや、大した事を書いてないから〜」とにっこり!
私は「なるほど〜」と納得した。30年近くのお付き合いの中で、こうして外国からのハガキや手紙が、何通届いたことだろう〜。苦しい時に、パトラちゃんからのハガキを眺めた日もあった。美しい外国の風景と楽しいメッセージに心が和んだ。
メールや電話の声は消えてしまうが、ハガキや手紙はいつまでも残る。パトラちゃんからの絵葉書はアルバムに貼り、手紙は大切に箱に入れてある。私にとって、パトラちゃんの存在が、愛そのものだった。
おしゃべりに夢中になっていた。タクシーの中も、バスの中もおしゃべりの花が咲いた。
自由行動が多いので、どこでも行けた。パトラちゃんは、ツアコンなので、私は、個人ガイド付きのようなものだった。どこでも、行きたい所へ行く事ができた。夢のような3日間だった。
「ねぇ、ゆみちゃんとので出会いは?」と聞くと笑いながら、答えてくれた。
「成田空港の荷物の所のカウンターよ。荷物の代わりに私が乗ってね。何キロかしら?と独り言をいったの」「そうだったの」とお茶目な彼女のその時の様子を瞼に浮かべた。
「体重は何キロ?これからどこへいらっしゃるの?」「イタリアよ。あなたも?」
「そうよ。私もイタリアよ。どこかで一緒にお茶でも飲みますか?」と愛そよく、答えてくれた。
この会話がきっかけで、友達になり、イタリアでの仕事も最高に楽しいものとなった。ホテルは違っていたのだが、ベニスで待ち合わせて、ショッピングを楽しんだ。
パトラちゃんとゆみちゃんは、ちょっとしたきっかけで、友達になった。
ホテルは、違っていたが、観光コースが同じになったこともあった。
「ねぇ、ゆみちゃん、フィレンチェで一緒にお買い物しようよ。すごくいいお店知っているよ。」とにっこりしながら、話しかけた。
「OK。楽しみにしてるわ。自由行動があるからその時ね」とはじけるような笑顔で、手を振った。
二人は、ショッピングを楽しみながら、お互いに日本では味わえない解放感を感じた。ゆみちゃんは楽しくてたまらなかった。
「パトラちゃん、日本に帰ったら、シドニーに遊びにきてね。私たちには、子供がいないから、いつでもいいよ」と言った。パトラちゃんは、「じゃあ、行くわね。また、連絡するね」と、嬉しそうに答えた。ゆみちゃんは、ご主人と一緒に、シドニーに住んでいたのだった。
パトラちゃんは、ゆみちゃんと出会ったばかりなのに、意気投合してしまった。ゆみちゃんは「必ず遊びに来てね」と言って、住所を手渡してくれた。
それから、3ヶ月後、オーストラリアで世界会議があったので、約束が果たせる時がきた。ゆみちゃんが住んでいるシドニーに向かって、飛行機が飛び立った。
ゆみちゃんの自宅に着いて、二人が再会した。ゆみちゃんも、ご主人も大喜び。歓迎パーティには、御主人の友達も参加してくれた。ホテルの支配人をしている人が「二人とも仲良しだけどお付き合いして何年になるんですか?」と聞いた。
二人はお互いに顔を見合わせ、「クスッ」と笑った。「まだ、三ヶ月よ」と、答えた。色々な人と話しているうちに、支配人と気が合い、おしゃべりに花が咲いた。パトラちゃんは、この地球で誰とでもおしゃべりできる妖精のようだった。
オーストラリアのシドニーで家族のように歓迎され、また新しい友達も増えた。帰ろうとすると「もう帰るの?もっといればいいよ」とみんなが言ってくれた。
「もう、そろそろ仕事しないといけないわ」となごりおしいと思いながらも、帰国の準備をしていた。ゆみちゃんが「パトラちゃん、お願いがあるの。私一人娘なの。東京で一人暮ししている母が心配なの。今度は、東京に遊びに来てね。きっと、母は、あなたのこと大好きになると思うわ」
「そうなの。ゆみちゃんは、お母さんの介護で東京とシドニーを行ったり来たりしているの?」と聞いた。「そうよ。主人の仕事でまだ数年、こちらにいないといけないの」と寂しそうな顔をした。
「そんな顔しないで!私が、時々お母さんの所へ遊びに行くから〜」と、パトラちゃんは、ゆみちゃんの肩をポンと軽く叩いた。ゆみちゃんは、パトラちゃんに優しい言葉をかけられて、涙ぐんだ。
夫を早く亡くしたゆみちゃんの母は、妹と一緒に東京で暮していた。しかし、妹の方が先に天国に行ってしまった。
母の姉は、アメリカのマイアミに住んでいるのが、高齢になり、帰国出来なくなってしまった。そして、一人娘は、オーストラリアへ〜。
ついに、母は、日本で一人ぼっちになってしまった!ゆみちゃんは、そんな母が心配でたまらなかった。
ゆみちゃんのお母さんに会う事を約束して、オーストラリアから帰国した。数日後、ゆみちゃんから電話が入った。
「何だか、賑やかね」と羨ましそうな声だった。「そうよ。両親、姉、義兄、姪、甥もいるわ」と答えた。「いいね。うちは、ママと二人っきりよ。パトラちゃん遊びにきてくれない?」と誘われた。
ゆみちゃんは、母にパトラちゃんのことをいつも話していたようだ。鎌倉の実家に遊びに行った時、ゆみちゃんのお母さんが「あっ、パトラちゃんだ、パトラちゃんだわ!」と言いながら、駆け寄って来て、パトラちゃんを抱き締めた。
80歳には見えなくて、美しい奥様という感じだった。パトラちゃんは「ママはいつも何やっているの?」と聞いた。「ピアノを弾いたり、お庭のお手入れよ。たまには、車にのって病院よ」
ベンツに乗って病院へお出かけ?一人暮らしのおばあちゃんが、出かける所は、病院だけだった。
ゆみちゃんのお母さんは「賑やかっていいわね」と呟いた。「いつも、ひとりぼっちだから、あまりお食事が進まないのよ。さあ、今日は、パトラちゃんの為にロブスターも蟹も買ってあるわ」と弾んだ声で話した。
「そうだわ。税理士の岡先生もお呼びしようかしら?彼も、パトラちゃんに会いたがっていたから〜いいかしら?」とパトラちゃんの方をみた。
「もちろん〜いいわよ」と答えた。すぐに電話した。彼は、エプロンを持ってきて「よぉ!久しぶりだな〜」と言って、キッチンに入って、大きなロブスターを持ち上げた。にこにこしながら、みんなで料理をした。
ゆみちゃんのお母さんは、この賑やかさを満喫し楽しんでいた。
「ママ、すごいね。こんなにたくさんいただけたの。いつもは、ほんのちょっとしかいただけないのにねぇ」ゆみちゃんはお母さんが、おいしそうに食事をしている様子を見て、幸せを感じていた。
パトラちゃんが、ここにいるだけで、みんなが元気になり、笑い声が家中にこだました。楽しい団欒のひとときだった。
ゆみちゃんの父が亡くなってから、父方の親戚も疎遠になり、寂しい毎日が続いていた。
ゆみちゃんは「ママ、パトラちゃんのお陰で、この家にも、賑やかな笑い声が聞こえたね。幸せね」と嬉しそうに話しかけた。「本当にそうだね。大勢でお食事できるって最高の幸せね」とぽつんと一言。
「パトラちゃん、ありがとう。最高の親孝行ができたわ」と言った。パトラちゃんは「親しい人とお食事が出来てご馳走もいっぱい、おしゃべりも最高のご馳走だったわ」と笑顔で答えた。
「パトラちゃん、また来てね。待ってるから〜」とみんなに見送られた。
パトラちゃんと三泊四日の上海旅行で、彼女がツアコンをやりながら、いかに世界的なカウンセラーだったかを知った。
そして、ずっと寝食を共にしていると、彼女の人間性の高さに驚いた。
30年近くのお付き合いの中で、一度だけ彼女から相談を受けたことがあった。およそ、10年くらい前の事だった。エジプトでテロ事件が起きて、ツアコンダクターが殺された時だった。
ちょうど、私がエジプトから帰って来てから、事件が起きた。その頃、パトラちゃんは、エジプトの仕事が多かった。
「お話したいことがあるの。時間作ってもらえるかしら?」という電話が入った。パトラちゃんは、私にとって、とても大切な存在だ!
「もちろんよ。じゃあ、一緒にお食事しましょう」と言って、近くのレストランで待ち合わせた。いつもと違って、心配そうな顔をしていた。
「どうしたの?元気ないね。何か心配ごとでもあるの?」と聞くと「仕事が激減したの。このままだと、生活が不安なの」と呟いた。「そうね。確かにテロ事件の為に、海外旅行する人が減ったわね。でも、この状態がいつまでも続かないし、しばらくすれば、またエジプトツアーにも行けるようになるよ」と答えた。
「そしてね。もし、仕事が無くなったら、ミニバラの活動を手伝ってよ。夢が持てない若者が多いから、話を聞いてやってね。不登校、自傷行為をする子、いじめにあっている子、自殺未遂を繰返す子、他にも苦しんでいる若者がいっぱいいるの。助けるのを手伝ってよ」と私は、彼女の目を見て、真剣に懇願した。
「貴女は、英語も、ドイツ語、フランス語、ポルトガル語、日本語、いっぱい出来ることがあるの。そして、53か国の国を訪れた体験という財産があるのよ。まだあるわ。あなたは、世界中にお友達がいるわ。あなたにできることは、たくさんの人の心に愛と夢と希望を与えることよ」
パトラちゃんの心配事を聞いてから、彼女の素晴らしさを、感じるまま話した。お世辞をいう訳ではなく、ありのままの私の気持ちを伝えた。
パトラちゃんの目が、どんどん輝き、自信を取り戻してゆくのが、手に取るように分かった。彼女には、もうひとつの不安があった。
「私は、結婚していないから、仕事が無くなると、実家に迷惑かけることになるわ。」と言った。私は、笑いながら「何言ってるの。家族だもん、迷惑なんて思う訳ないじゃん。あなたは、世界に翔んで行ってしまうから、神様がちょっと休みなさいと、仕事を減らしたのよ。お父さん、お母さん、義兄さん、お姉さんにうんと甘えたらいいよ」
安心したのか、やっとパトラちゃんが笑い出した。
テロ事件が続いたので、パトラちゃんのツアコンの仕事が減り続けた。私と話してから、「時間が出来た時、ミニバラの活動お手伝いするわ」と言ってくれた。
「じゃあ、まず私に英会話と世界の教育状況を話してね。あなたのおしゃべりは、生で旬だから新鮮で楽しいからねぇ〜」と頼んだ。「お安いご用ね。その他に何をやったらいいの?」
「あのね。あなたは美人でスタイルもいいし、トークも面白いから、講演会に出演してね。それから、イベントにも参加して、みんなと一緒に食事の準備をしたり、歌ったり、踊ったり、おしゃべりしたりするの。」
「えっ、おもしろそうね。私が、舞台に出るの?」と驚いた顔をして聞いた。 「もちろんそうだよ。大丈夫よ。リハーサルするからね」と今までの活動内容を説明した。
「長い間、おつきあいしてきたけど、詳しいことは知らなかったわ。すごい興味がある分野だわ。」と好奇心いっぱいだった。
初めての舞台のお客様は、1000人くらいだった。体験談を話してもらうことにした。彼女が、緊張気味だったので、私は、出番の前に背中を擦って「すべてはうまくいっている。きっとんとん」と言った。
初めての出演者には、必ずやるようにしている。「わぁ、気持ちいいな。落ち着いたわ」とにっこり!
初めての舞台を見事にこなしてくれて、大成功だった。他のスタッフとも仲良くなって、ひとつの輪ができた。「すごく緊張したけど、楽しかったわ」と興奮して話してくれた。彼女は、実行力のある素晴らしい女性だった。
月日が流れ、世界が少しづつ、落ち着きを取り戻していった。パトラちゃんの仕事もだんだん増えてきた。ミニバラの活動に参加しながらも、世界へ翔んだ。
ブラジルの家族も、彼女が遊びに来るのを待っていた。首を長くして、マーラ一家が待っていた。パトラちゃんは、英語、イタリア語、フランス語が話せた。それでも足りないと、ドイツに留学して、ドイツ語を学んだ。
その時、友達になったのがマーラだった。ブラジルの女の子で、銀行で働いてお金を貯め、ドイツ語を学びに来ていた。
すぐに、仲良くなって、一緒に勉強した。パトラちゃんは、ブラジルが大好きで、マーラちゃんちへよく遊びに行った。
お父さん、お母さん、お兄さん、お姉さんとカイユ君がいつも待っていた。その当時、5歳だったカイユ君が今では大学生になっている。パトラちゃんが毎回ブラジルに訪れる時は、三か月滞在し、家族と一緒に生活をする。
マーラのお母さんが「パトラ、この上に建て増しして、あなたの部屋を作るから、ブラジルに来なさい。一緒に暮らそうよ」といつも言ってくれていた。
90日が過ぎて、日本に帰ろうとすると、みんなが「もっといて、もっといて〜」と泣き出した。特に、カイユ君が大泣きをする。パトラちゃんが大好きなのだ。
「カイユ…!男の子だから泣かないでね。もう、大学生になったんだから、うちに遊びにおいでよ。約束だよ」と言うと、「うん。分かったよ。来年、日本に行くよ。ママ行っていい?」と聞いた。
「もちろんよ。パトラちゃん、カイユを頼むわよ」とウインクをした。 「OK。カイユ、日本で待ってるよ」と大きく手を振って別れた。
カイユくんは、今年の夏休みに、パトラちゃんに会いに、日本に来ることになっている。パトラちゃんが、今年、5月8日癌で亡くなったことをまだ知らない。マーラの家族も、誰も知らない。住所がわからなくて、連絡がとれないのだ。急病だったので、世界中の友達がまだ誰も知らない。
ツアコン仲間が、飛行機に乗って、パトラちゃんの外国の友達の住所を調べている最中だ。まずは、イタリアの友達、外国に住んでいる日本人の友人からのメッセージが届いた。
私は、時々、パトラちゃんは「人間の領域を超えている女性だ」と思うことがあった。すべては、自然体で全然いばらない。
「私は特別だ」という意識も全くない。困っている人がいると、手をさしのべ、サラリと助けてくれる。そして、その時、助けたこともサラリと忘れてしまう。「あの時、助けてもらってありがとう」と言っても「えっ、そんな事あったっけ?」と言う。「過去のことは、もう忘れちゃったわ」とにっこり笑っておしまい〜!
フットワークが軽くて、有言実行のタイプだった。「いいよ、わかった!やってみるよ」と言ったことは必ずやってくれて、解決してゆく。行動力は、女性を超えて男性的だった。相手と交渉する時は笑顔だけど、凛として、正しいと思ったことは一歩も引かない。だがいつも、交渉は成立させる。彼女には、摩訶不思議な力があるような気がしていた。
今から、数年前のことだった。私の親友が大変困っていた。娘さんが、フランスのニースに留学していたので、夫婦でフランスに出かけた。その時に、イタリアのフィレンツェに寄って「ジノリのコーヒーカップ」を注文した。「船便で3ヶ月以内に届きますよ」と店の人が説明してくれたので、喫茶店のオープンに間に合うはずだった。
ところが、半年過ぎても届かない。友人は困って、私に話してくれた。パトラちゃんが、丁度、イタリアのペルージアに住んでいた。私は、すぐに電話してみた。彼女は、イタリア語を勉強する為に、大学に行っていたので、なかなかつながらなかった。彼女のお姉さんに、事情を説明して、ファックスで連絡をとってもらうことになった。
お姉さんも、とてもきれいな方で、親切だった。長い間のお付き合いの中で、私の活動にも理解があった。家が自営業なので、ご主人もお父さん、お母さんも知っていた。
お姉さんから、電話が入った。「心配しないでね。妹がそこのお店のオーナーに話をつけてくれるそうよ」と言われた。友人も私も大喜び!そのコーヒーカップはお気に入りだったし、とても高価なものだった。
長い間、届かなかったコーヒーカップが、やっと友人の手元に届いた。ゆっくりと、船に乗って、日本に上陸した。
パトラちゃんの強い想いと愛の力で、イタリアからはるばる海を越えて、コーヒーカップがやってきた。今でも、友人の喫茶店でコーヒーカップが光を放っている。
上海の旅で、飛行機の中、バスの中、ホテルとパトラちゃんのインタビューを続けていた。
ツアコンダクタ−の仕事の話、家族、友人、楽しかった思い出、これからの未来の話と次々に、おしゃべりが続くのだった。
スリランカの友人が,私に「僕の国は、貧しくて食べ物はみんなで分け合って食べるけど、おしゃべりというご馳走があるんだ」と言っていた。アベラトネのことばを思い出しながら彼女のおしゃべりを楽しんでいた。パトラちゃんと一緒にいると退屈することがない。
「あなたは、忙しいけど、ちゃんと遊ばないとだめだよ。地中海も見せたいし、イタリアのおいしいお店も連れて行きたいわ。ご主人が定年になったら、二人を世界中に連れて行ってあげるわ。もうすぐね。」私は、「うん、楽しみね」とにっこり頷いた。
上海の美術館に、たくさんの芸術品が展示してあった。学芸員が流暢な日本語で芸術品の説明を始めた。私は、ある芸術品の前で立ち止まり、釘付けになってしまった。他の人達は、サッと通り過ぎて、休憩所で中国茶を飲んでいる。
パトラちゃんが心配して「どうしたの?」と聞いてくれた。「あまりに素晴らしい芸術品なので感動して動けないの」と震える声で答えた。
「良いものに感動するって素晴らしいことよ!」と一緒に感動を味わった。呆然としている二人を見て、学芸員が近付いて来た。
「どうかされましたか?」と尋ねた。私は「あまりに素晴らしいので、ここから動けなくなりました」と答えると「そうですか〜。この期間だけですが、この芸術品は、中国政府から許可が出ています」「えっ、どういう意味ですか?」と私は、驚いて聞き返した。「北京の万博の宣伝の為に、世界から訪れた人に譲っても良いと許可されたのです」と詳しく説明された。
「譲ってもらったら?この芸術品は、本物だから大丈夫よ。あなたは、みんなのドロドロした悩みをたくさん聞いてあげるんだから、こういう美しい芸術といつも触れていたほうがいいよ。私は、たくさんの国々を訪れているけど、これは素晴らしい芸術品よ」と熱心に話してくれた。
「でも、そんなにお金持ってないわ」とパトラちゃんに、財布を開いて見せた。笑いながら「あるじゃないの。ほらここよ」と一枚のカードを出した。
上海旅行は、信じられないくらい格安だった。ホテルも良くて、食事もおいしくて、全部込みで三万二千円。パトラちゃんのお陰と感謝した。
「ほら、このお財布にゴールドカードが入っているよ」と、にこにこしながら差し出した。「でも、そのカードは私のではないわ。そのカードにサインすると、主人の通帳から落ちるの」と答えた。
「まあ、なんてラッキ−なんでしょう。ミニバラ研究所にしてから、10年って言ったでしょ!ご主人からのお祝いとしていただいちゃったら?」と笑いながら、言ってくれた。
「あなたの発想はすごいねぇ〜。そんなこと思い付かなかったわ」
「人生楽しまなくっちゃ!こんなチャンスもう来ないよ。この芸術品との出会いを大切にしたらいいんじゃないの」と興奮しながら語った。
「でもねぇ、主人の趣味ではないしねぇ〜。叱られそうだわ」と言いながら、迷っていた。
「大丈夫よ。叱られそうになったら、応援してあげるからね」と私の耳元に囁いた。
「じゃあ!人生悔いなしで行こう」と決心した。このカードで初めてサインをした。「やったー!」ふたりはVサインをした。無事、上海旅行を終えて帰国した。主人が駅まで迎えに来てくれた。「お帰り!寿司でも食べに行くか?女房の面倒をみてくれてありがとう」とパトラちゃんにお礼を言った。
お寿司屋さんについて、注文をした。パトラちゃんが、私に肘でつついて合図をした。「あのう…」と言いかけたら、主人が「変な物を買ったんじゃあないのか?」「えっ、どうしてわかるの?」と私は驚いた。「何かあったらいかんと思って、カードを渡したんだけど〜」と首を傾げた。「芸術品買っちゃった!」と正直に言った。「馬鹿だなぁ〜そんなもの偽物さ!」と強い口調で言った。私は動揺していた。
すると、パトラちゃんは、はっきりと「あれは、本物よ!いろいろな国で美しい芸術品を見て来たけど、光沢が本物よ。大丈夫!信じていいわ」と主人に詳しく説明してくれた。「よし、分かった!よかったな。良い芸術品に出会えて〜。じゃあ、お帰り!乾杯」と言った。
一件落着!パトラちゃん、ありがとう。主人の寛大な心にありがとう。また、頑張る決意をした。
パトラちゃんは、家族や親戚、友人を世界へと連れ出した。海外旅行が苦手な人でも、彼女なら安心してついて行ける。親切で勉強家なので、何でも聞けば、優しく教えてもらえるからだ。
だから、リピーターが多い。今年の4月にも、人気のイタリア旅行にお客様を連れて行った。イタリアにも住んでいたので、イタリア語も流暢だ。
今回も、大好きなイタリアへ行けれる彼女は、元気よく飛行機で翔んだ。
ところが、日程が進むにつれてお腹が痛くて、激痛が走るようになった。今まで、健康であまり病気になったことがない。
どんなに痛くても、プロ意識が強いので、お客様の前では、にこにこしながら、案内して行った。
ホテルについて、自由時間の時に急いで病院にかけこんだ。すると、医師は「このまま入院して下さい。腫瘍があるかもしれません」と説明された。
「えっ、それは困ります。まだ仕事の途中です。どうか、痛み止めを下さい」と懇願した。「その身体では日本に帰るのは、無理ですよ」と心配そうな顔で、医師は語った。
「お客様を全員無事に日本に帰さなければなりません。それが私の仕事です」「うーん」としばらく考え込んだ。そして「よくわかりました。痛み止めを出しましょう」
痛み止めの薬を飲みながら、全員無事に日本に帰れた。お客様にねぎらいの言葉をかけて、仕事を見事にやり終えた。
「お姉さん、お腹が痛くて、早く歩けなかった。ごめんなさい。新幹線に乗り遅れたわ」「電車も一本遅れてしまったの、ごめんなさい」次々に入ってくるメールがおかしい。いつもの妹ではない!お姉さんとお母さんは胸騒ぎがした。急いで駅まで迎えにいく事にした。妹の事が心配で、握っているハンドルに冷や汗がにじんできた。
やっと見つけた妹の顔は蒼白!倒れ込むようにして車の中に入った。お母さんは娘の背中を擦り続けた。自宅についても、ただごとではない。すぐに救急車を呼んだ。その時、既に深夜になっていた。
病院に入院して、二週間後に、パトラちゃんは、永遠の眠りについた。岐阜から、世界に翔んで、みんなに幸せを運んだ風のセニョリータ〜私も世界中にいるあなたの友達も、そしてあなたがもっとも愛した家族も、あなたのことは決して忘れない。ありがとう、パトラちゃん、ゆっくり休んでね。
きっとんとん〜永遠に心の中で生きているわ〜世界に翔んだセニョリータおしまい。最後まで読んで下さってありがとうございました。
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